ひむかヘリテージ機構設立総会・挨拶
2018年 06月 09日
ひむかヘリテージ機構の設立総会にあたり、私に挨拶の機会をいただきました。2012年10月にヘリテージマネージャー講習会を宮崎県建築士会でやりたいとの話を聞いた時に、この企画はぜひ私にやらせていただきたいと申し出をしました。
前会長の松下氏、そして現在の松竹会長より「あなたの思う通りにやってほしい」との言葉をいただきました。そして実施委員会のメンバーと共に、多くの方をお誘いし、県内外の多彩な講師の先生方に協力をいただき、3回の講習会を通して受講生108名、そして修了生83名を輩出することができました。
講習会終了後の取り組みについて、その必要性は当初より考えていたました。ただし私の役割は講習会までとし、その後の活動については、次の世代の方に引き継いでいただけるのが良いと考えていました。
今回、代表世話人を川越さんが、そして副代表世話人の一人を葛迫君が引き受けてくれたのは、頼もしい限りです。 ここで、私ごとで大変恐縮ですが、ここ10日間で家族に大きな出来事が二つありました。一つは家族が一人増えました。そして二つ目は、昨日ですが、都城の70歳の姉を見送りました。
通夜の夜、兄とともに姉と同じ部屋で過ごしました。朝、目覚めると兄は亡くなった姉に、長い間、語りかけていました。二人過ごした長い時間がそこには凝縮しているように見えました。
ヘリテージマネージャー講習会の初日は、毎回兵庫県の沢田氏に講師をお願いしました。沢田氏の話の中で「生老病死」のことがあります。説明では、建物の老朽化や財産価値の低下を「老」、機能障害を「病」、そして解体撤去を「死」と表現されました。
また、今年は、私にとってヘリテージマネージャーとして収穫の年でもありました。数年前に出会いのあった高鍋町の旧武家屋敷が5月10日に国登録有形文化財として正式登録となりました。
旧武家屋敷は所有者の文化財にしたいという強い想いのもと、私が初見を作成しました。江戸後期に作られ、明治、大正、昭和、平成とその姿は少しづつ変化して来ましたが、柱・梁の骨格は残り、屋根は姿を変えていました。ただし、町割りの中でのたたずまいは当時のおもむきを残していました。
戦後使われなくなった建物をフランス在住の現在の所有者が、数十年ぶりに訪れ、あばら屋に近い建物に日本家屋としての素晴らしさに気づき、親族の同意のもと建物の所有者となり、少しづつ手をかけ現在の生活に対応できるように整備されました。整備後は、年に数回の長期滞在期間中、建物内での音楽会、講話会、そして外国のお友達の旅の拠点として提供するなどを通して活用されています。
すでに解体され「死」をむかえていたかもしれない建物が残り、その中で不定期ながら行われる多くの人達との交流の中で新たな文化が見出されています。 人にはそれぞれの寿命があります。人の「老」や「病」に対して家族はできる限りのことします。死をむかえた故人に家族は嘆き悲しみ、そして感謝の念を伝えます。建物にもいつかは死が訪れることになるのですが、建物の場合その寿命は関わる人達の想いにより大きく異なります。
建物は残したいという強い想いがあれば、それをサポートする人との出会いの可能性があります。そして、保存する技術、活用する人たちの取り組みによって、その「建物」と、その中での「いとなみ」は、時代の文化を醸し出していきます。
選んだ、選ばれた建物を末長く、保存・活用する担い手として、今日参加していただいたヘリテージマネージャーそして関係者は取り組んでいることでしょう。 そして、新たに作られる建物にも、将来文化を醸し出す建物となるようにしっかりとしたコンセプトを持ち、日々の業務に取り組んでいただきたい。
その手助けとなる組織として「ひむかヘリテージ機構」がスタートしていくものだと思います。

