ひむかヘリテージ機構の今年度最初の講習会(6月8日・タイトル「建物を受け継ぐってどういうこと?〜おくる都城市民会館と生まれ変わったMallmallを糸口に〜」を実施するにあたり、代表の川越さんから紹介された本「考えるとはどういうことか(幻冬舎新書)」のあとがきで、著者の梶谷真司氏が参考文献として一冊だけ紹介している。
その本は、山田ズーニー氏著の「伝わる・揺さぶる・文章を書く(PHP新書)」であり、その中には、おもわずマーカーでしるしをつけてしまうカ所が多数あった。
その中でも最後のページに書かれていた文章は、新たにものを創り出す建築設計という仕事にも大いに参考になり、ここに書き留める。
▼ P239より ▼
相手という個性に、自分として向き合ったとき、自分の中に沸き起こってくるものがある。その相手だからこそ言いたいこと。自分にしか言えないこと。そういうものに、私たちはもっと忠実になっていいと思う。
多くの場合、それは自分と相手のギャップによって生じるメッセージだから、ときに相手に歓迎されず、違和感やざらつきを与えるかもしれない。
それでも違和感という形で、ときに反発という形で、相手の潜在力を揺り動かすことができれば、相手を生かし、自分を相手の中に生かしたことにほかならない。
自分にしか書けないもので、お互いの潜在力を生かされるとき、相手とあなたが出会ったことは意味を持つ。あなたが書くものは、相手にとってかけがえのない意味を持つのである。
あなたには書く力がある。
他印象に残った文章を随時書き留めていく。
▼ P219より ▼
自分の想いを語れば、孤立する。自分の考えで行動すれば、打たれる。そのどこが自由なのか、という人がいるかもしれない。でもそれは、他ならぬ自分の内面を偽りなく表し、自分として人に関わって、得た結果である。自分を偽ることなく外界と関わっていけるということは、極めて自由なことだと私は思う。
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だからこそ、早いうちから、自分の意思を表現して打たれ、失敗を体の感覚にやきつけていかなくてはならない。表現力を磨き、成功体験を重ね、熟練して、自分の意思で人と関わっていけるようにしていくのだ。そういう自由を私は欲しい。そのための思考力、表現力の鍛錬なのだ。
・・・・・・。自分の偽らざる想いを発現させることが、結局は相手に対しても誠実であり、それが相手の心に響き、相手の潜在力を揺り起こしたときにのみ、本当の満足が得られる。そこに人と人が通じ合う歓びがある。
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