8月8日に行われた宮崎県文化財保護審議会で、日向市在住の刀工についての審議が行われ、その中で様々な県指定文化財(有形・無形・無形民族・史跡・名勝・天然記念物)の中で、地元宮崎県との関わりは、刀工が生まれ現在その場所で制作しているというだけで、制作に使われる材料(鉄・炭)や関連する職人達(研師・鞘師・等)は他県に依存しているという点が気になり私なりの発言をした。
発言の中で加江田渓谷の家一郷で昔鉄が作られていたという話を前提に、その材料や加工するために必要となる燃料の調達に関しては一定エリア内で完結していたことを取り上げ話をしたところ、委員会終了後に同じ委員のA氏より、実は内海川上流でもタタラを見かけることがあり昔鉄を作っていたとの情報をいただく。
そしてそのことに詳しい人がいるので、よかったら一緒に話を聞きませんかとの提案があり「それは是非お願いしたい」と返事をしていた。
家一郷のタタラについては双石山探検隊が詳しく、是非探検隊メンバーにも話に加わって欲しいと廣重氏に連絡すると是非お会いしたいとの申出で、8月21日に内海川沿いで関係者と会うことになる。関係者はA氏と現地のことに詳しいというB氏、探検隊メンバーは小八重氏、雉子谷さん、廣重氏、そして私の予定であった。
前日(20日)の夕方に廣重氏より都合により21日の会には参加できないと連絡がある。今回のためにわざわざ家一郷周辺に鉄屑を採取に行くほど楽しみにされていただけに廣重氏の不参加はとても残念であった。
8月21日の朝、8時50分に自宅を出発し、同じ団地内に住んでいる小八重氏のお宅に行き、そして雉子谷さんとの待合せ場所である美建に行き合流し私の車で目的地に向かうが、約束の時間には早すぎると、以前から気になっていた野島神社に行くことにする。
神社境内には国指定天然記念物(指定 昭和16年10月3日)のアコウの木があり、今までは車で神社前を通る時に国道沿いの茂った樹木を見ていたが今回は直に見ることができた。あこう独特の成長する姿は一見の価値があり、いつか神社に伝わる神楽と共に改めてブログで紹介したいと思う。
待合せ場所は内海から川沿いの道を遡ったところにあるB氏の小屋、内海のまちはよく通るが川沿いのこの道ははじめてで、人家が途切れたあたりから川沿いを走ることになるが、対岸に見られる岩肌は見事である。青島・日南海岸の特徴ともなっている鬼の先端板(波状岩)の元の姿(波に洗われる前)を見ることができる。知福川上流でも見ることができるが、ここで見る岩肌はそのスケールが違い渓谷と共に美しい風景を作っている。
待合せ時間の10時00分にB氏の小屋に着くと、本日の段取りをとってくれたA氏が待っていてくれる。車を道路手前の広い路肩に止めて、道路より一段と高くなった小屋のある場所に行く。架設テントの下に大きなテーブルと数脚の椅子があり、迷彩柄のパンツを着用されているB氏はテント周辺の環境と合わせてアウトドアを楽しんでいる雰囲気がする。
各自の自己紹介後に内海川周辺でのタタラに関する話をお聞きする。B氏の話は、上流の川べりで採取した鉄屑について仲間と一緒にレポートにまとめ、それを当時の支所に提出したことからはじまる。そのレポートを偶然目にした人が広島県東城町(現在の庄原市東城町)の助役さんだったらしい。
東城町では昭和後期まで「たたら製鉄」が行われていたらしい。その歴史的検証の中で、昔、飫肥藩から内海川上流でのたたら製鉄の依頼があり、東城町の専門家たちがしばらくタタラ製鉄の可能性について現地で従事したが、結局はあきらめて国元に帰ったという史実があり、その事を確かめるために15年ほど前に宮崎を訪れてその場所を探していたところ、偶然に支所にあったB氏達のレポートが目に止まりB氏を訪ねてきたらしい。
B氏が鉄屑を拾った場所に助役さんを案内すると、助役さんの口から「この辺りで間違いない」という言葉が出たらしい。おそらくタタラ製鉄のために必要となる環境が助役さんには現場を訪れることで直感的にわかったのではないかとの指摘がある。そのレポートの存在に関しては、その後の支所移転により現在存在しているかどうかが分からないらしい。
タタラの原料となる砂鉄は加江田川河口から山を越えて運ばれており、加江田渓谷の家一郷までのルートは「タタラ道」として加江田渓谷入口の丸野にその案内板が立てられあり地図と案内文が紹介されている。内海川上流までどのように運ばれたのかそのルートは分からないが、現在のこどもの国を河口とする知福川上流の蛇の河内を経由としクンパチ山から花切山へと辿る尾根道は内海川上流の照子の谷の源流となる花切山と繋がる位置関係になる。
今回、たくさんの興味ある話を聞くことができた。A氏とB氏には探検隊メンバーが全員そろった時に再度お話をお聞きしたいとお願いする。また改めて思ったことだが、探検隊メンバーの小八重氏の実体験を元にした話には興味ある事柄がいくつも出てきた。機会あるごとに氏からの話も記録していかなければと思う。
最後に「タタラ製鉄と飫肥藩」というキーワードでネット検索すると下記の論文が出てくる。
・1 「たたら製鉄」と「鉄穴流し」による山地の荒廃と土砂災害
・2 たたら製鉄による近世技術と労働力編成に関する研究
・3 鉄の日本史ー邪馬台国から八幡製鐵所開設まで という本の中で、目次として「日向飫肥藩の製鉄」というページが紹介されている。他にもあるが(・1)の中に「5.神話とたたら製鉄」という項目があり、その中に「天狗とたたら」という記述があり興味深い。