07-1-27〜29 次男と山形へ

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帰路 ー 山形から東京へ向かう新幹線の中で

 現在、1月29日(水曜日)の午前中で、山形駅8時02分発の東京行きの新幹線の中でキーボードを叩いている。まもなく「うえのやま温泉」を通過するあたり、一昨日の月曜日の夜に山形入りし大学時代の友人である川上(仮称)の自宅にお世話になる。

 ことの発端は昨年の10月末に妻から「来年1月末のソラシドのデイスカウントチケットが発売されているけど一緒に東京に行かない?」と誘われる。妻は年に数回デイスカウントチケットを利用し娘の居る東京に出かけており今回珍しく次男と私に声がかかる。

 東京は目まぐるしく変化しているようだが、モダン化が加速する東京ではなく、山形新幹線を使い川上に会いに行こうと思いたち、同じく声のかかった次男に「お父さんは友人に会いに山形市に行くけれど、どうする?」と聞くと、丁度雪の季節ということもあり「お父さんと一緒に山形に行きたい」との嬉しい返事がある。

 現在、車窓から見える風景は大雪のため真っ白状態である。48年ほど前に大学時代所属していたクラブ(社交舞踏研究会)の冬合宿が越後湯沢であり電車で向かった。途中トンネルを抜けるとそこは「雪国」真っ白な世界に驚き車内で一人はしゃぎ友人達に笑われたことを思い出す。

 窓際に座っている次男は何を思っているのか寡黙に外の景色に見入っている。妻から東京行きを誘われた時に、まず思いついたのが山形に住む川上のことでもう何十年も会っていない。大学院終了後に数回会う機会があり互いの故郷も行き来していた。

卒業後の二人の交流
受験勉強
 私が最初に山形に訪れたのは、大学院を修了し就職が決まらず大学に研究生として籍をおきながら一級建築士をめざし日々受験勉強に取り組んでいた時のこと、川上はすでに地元の本間氏の事務所で働き始めていた。

 何を思ったのか彼のアパートで勉強をしようと勝手に決めて10日ほどお世話になった。もちろん新入社員の彼は遅くまで仕事をしており、遅い夕食を一緒にとっていた。東京より涼しい場所での勉強は思いの外はかどりその年の暮れには一級建築士の合格通知が届いた。

川上の結婚式
 二度目に山形を訪れたのは同じ年に行われた彼の結婚式(1982年9月12日)で、大学時代から付き合いのあったYちゃんと無事にゴールインすることになった。結婚式は彼の実家のある新庄市、川上ファミリーは熱心なクリスチャン一家で、彼が幼い頃から通っていた教会で式があり、式後の披露宴の場所は思い出せないが友人代表としての挨拶を頼まれていた。

 挨拶した時の事はその内容と会場の雰囲気についても良く覚えている。1年前に同じ大学院の友人である高城(仮称)と二人でヨーロッパ旅行(1980年5〜6月)を計画し、主に地中海沿岸に点在する白い集落をスペイン南部からギリシャのエーゲ海まで訪ねた。

 スペインで立ち寄ったバルセロナのサクラダファミリア教会の現場で見かけた光景に感銘を受け、その時のことを話した。もちろん川上が優秀な学生であったことを先に紹介してからである。

 サクラダファミリア教会は、現在、完成は来年の2026年と言われているが、私が訪れた44年前は完成がいつになるかわからない状態であった。そのような状況の中で、現場の地下室で黙々と模型作りに打ち込む同世代の若者に自分を重ね合わせた時に感じたことをそのまま言葉として川上とYちゃんに伝えた。

 来賓とした出席されていた東地方を代表する建築家と評価されていた本間氏からスピーチ後に声をかけていただいたことを記憶している。

 結婚式当日二人は天童のホテルに宿泊することになるが、実は私のために同じホテルを手配してくれていた。私の部屋は建物の最上階の和室で夕食後部屋に戻ると床柱を伝い水が滝のごとく流れていた。早々にフロントに連絡するとホテルの空室で最もグレードの高い部屋に移される、もしかして川上夫妻よりも良い部屋だったのではと思う。

長男T君に会いに
 三度目は私が地元宮崎市の設計事務所に職が決まり、市内に新たに建設する専門学校を担当していた時、学校開設のプロデュースをしていた新潟市内にある学校に視察に行くことになり、現地での視察と打合せが終わった後に、日本海側沿の電車に乗り鶴岡市経由で川上夫妻の自宅を訪ねたことがある。当時長男のT君(仮称)がまだ一歳になるかならないかの時だった。一泊だけの交流だったが思い出深い時間を過ごすことができた。

東北建築ツアー
 四度目は、山形県と宮城県の建築を見たく二人が大学生の時に所属していた研究室にいたFさんにも声をかけて3人で本間事務所の車を借りて建築巡りをした時である。湯田川温泉の七内旅館、銀山温泉の藤屋に宿泊していくつかの建物を楽しんだ。

 特に大学の後輩であり卒業後に本間事務所に入社したS田君が担当した「風雅の里」は見応えがあり、建築家の谷口吉郎・谷口吉生親子二世代で取り組んだ斎藤茂吉記念館は思い出深いものとなった。

私の結婚式と新婚旅行に一緒に
 五度目は私自身の結婚式(1985年1月12日)の時、大学時代の同期、先輩、後輩がたくさん出席してくれた。その中に、もちろん川上の姿もあり友人代表として挨拶をお願いした。

 結婚式翌日には10人乗りのレンタカーで、私のお気に入りの場所を巡る「宮崎・鹿児島ツアー」を企画し、友人全員にツアー参加を呼びかけたが、参加してくれたのは、G先輩、川上、後輩のF夫妻、T君というメンバーとなり、私が運転し妻がナビ件ガイド役を務めた。

 まず参加者が宿泊していた「ひまわり荘」に迎えに行き、披露宴の二次会で予定していた宿泊施設を使わずに予定外行動で、私の従兄弟の自宅兼事務所に泊まったT君を迎えるため木花の美建設計室を訪ねた。

 その後、高鍋大師、新小丸茶屋、そして雪の舞う今は無き「えびの高原ホテル」をめざした。霧島神宮経由でえびの高原をめざすが、途中積雪のため車がスリップ、レンターカーにチェーンがあり手慣れた川上が装着してくれ、その後は彼が雪道を無事にホテルまで運転してくれた。翌日は指宿の岩崎美術館を目的地とし宿泊は鹿児島市内の城山ホテルという充実した内容の旅行(新婚旅行)となった。

熊本アートポリスバスツアー参加
 六度目は1996年8月23日から2泊3日で実施された「熊本アートポリス事業」の一環として熊本県が主催していた熊本県内に建てられた建物をその設計者と一緒に見て回る二泊三日のバスツアーの時、私は2度目のツアー参加となっていたが、一度目があまりに充実した内容だったため川上を誘った。

次男と二人で東京散策

 前置きが長くなったが、1月27日(月曜日)の7時35分発のソラシド航空で羽田をめざし9時5分に到着する。到着ブリッジは空港出口までの距離が長く、途中左手にジェット機がたくさん駐機し関係する空港車両が行き来しているのを見ながら「働く車」に興味を示していた孫のことを思い出し、妻に「光君を連れてきたら喜ぶね」と話しながら長い長い通路をひたすら出口に向かった。

 到着は羽田第三ターミナルで藤沢市に住む兄夫婦を訪ねる妻とはここで別れ、一旦次男と二人でモノレールとJRを使い東京駅をめざす。山形行き新幹線の発着時間は16時05分なので時間はたっぷりと有り、とりあえず駅構内のロッカーに荷物を預けて新宿をめざす。

都庁のある新宿へ
 次男は過去に数回東京には来ているが新宿は初めてなので都庁の展望フロアーをめざし大都会東京を肌で感じてもらう。新宿西口と都庁の中間に母校があり可能なら訪問したい。電車は中央線だが乗り合わせた電車にはグリーン車と2階車両が連結されており学生時代にはなかった。東京駅を出発し新宿までの車窓には懐かしい風景があるが、新たな建物が次から次にと流れていく。

 私は都庁が完成してから数回新宿に来た事はあったが一度も都庁の建物に入ったことがなかった。中央線で新宿駅に到着する。話には聞いていたが新宿駅西口の京王・小田急の両ビルが再開発中で、昔通い慣れた地下の西口広場周辺は工事中のため様変わりしている。

 新宿西口公園への地下通路を通り一旦途中で地上に出る。丁度母校を見上げることのできる交差点で、この辺りは数年前の風景と変わっていない。次男に母校を紹介し建物をバックにスナップ写真を撮ってもらう。

 母校の玄関に近づくと出入口に「関係者以外の立ち入り禁止」の貼紙があり入館希望者は受付で許可申請をするようになっている。以前来た時には入館フリーで建築学部の研究室エリアにも自由に入ることができランチも学内の食堂で食べていた。当時学食は比較的安い料金で一般に開放されていた。立ち入りが規制されるようになったのも、もしかしてインバウンドの影響なのかもしれない。

 地下通路に一旦降りて地下から都庁にアクセスすると、展望フロフーへの案内板が要所要所に設置してある。近づくと半分以上外国人が並んでいる。長い列で先が見えないが展望フロアー専用のエレベーターに繋がる通路となっている。途中に手荷物検査スペースがあり、定員18名のエレベーター2機がフルに動いている。休む間も無く動いているエレベーターはもちろん安全管理はきちんとしていると思うが、9時30分から22時00分まで長時間働き続けている。

 展望フロアーは地上45階で、所用時間は55秒で到着、内部を見回すがメーカーの表示は確認できなかった。独立してからエレベーターを設置する設計の機会は無くなった。それまではエレベーターシャフトの位置をどうするのか考えることが常であり、勤めていた事務所のスタッフ全員で三菱エレベーター工場に視察に行ったこともあった。

 エレベーターを出ると展望フロアーで自然と周囲の窓が目に入り窓の外は異空間、時計回りに展望フロアーからの景色を楽しむ。母校は都庁との間に建っている京王プラザホテルのため見ることができない。多摩方面を見ると奥多摩の山並みが見えその上には雲がかかっており、稜線と雲との隙間に雪を被った富士山の斜面をわずかに見ることができた。

 展望フロアー中央付近にはYouTubeでお馴染みのピアノが置いてあり、丁度外国の男性が演奏している。ピアノ演奏の決まり事なのか一人一曲で他2人と合わせて3人の男性が交互に演奏していた。ほぼ一時間ほど展望とピアノ演奏を楽しみ、次はランチ場所へ移動する。
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新宿でランチ
 さほど空腹感はないという次男だが、手軽にコーヒーとサンドイッチでもと思い、母校南口正面にあるビル一階のコメダ珈琲店に行く。コーヒーと小豆トーストとピザトーストを注文するがピザトーストのあまりの厚さに口に入らない。

 ランチ後は新宿西口の雑踏の中を散策、学生時代に数回訪れた狭い階段が入り口となっている「豚珍館」は今だに以前の外観ままで営業している。途中、時間潰しにヨドバシカメラの店舗に立ち寄った後で、新宿駅南口前の歩道へ、この場所はYouTubeで良く見ている路上ライブの聖地、歌の好きな次男はきっと興味を持つだろうと思ったが、路上ライブは夕方からなのかそれらしき光景は全くない。

東京駅
 東京駅に戻るがまだ出発まで1時間ほどあり、東京駅丸の口側に出てまずは東京駅をまじまじと眺める、大学3年生の時に先輩の4年生3人が共通の卒論テーマとした「松本与作氏」の聞き取りのことを思いだす。先輩達にお願いしメンバーに加えていただいた。松本氏は大学の前身である「工手学校」の卒業生で、卒業と同時に明治時代に日本の建築界を牽引した辰野金吾の事務所に入り東京駅の設計に関わった。

 松本氏が学校から辰野事務所、そして第一生命の建築顧問となるまでの長い建築人生についてヒヤリングを行い、それを4人で文章化して一冊の卒論にまとめた。ヒヤリング当時は現在の東京駅の姿ではなく第二次世界大戦後に改修された姿をしており、松本氏から建設当時の姿に戻して欲しいとの話があったことを思い出す。現在東京駅は建設当初に近い姿になっており、周囲のモダン建築の中でその異彩を放っている。

皇居へ
 東京駅から真っ直ぐと広い道路が皇居へと続いており、この道を通り東京駅正門から皇宮警察の専用馬車に乗り皇居を訪ねる各国大使の映像を見たことがある。大都市東京の中で緑で覆われた広大な皇居の森へ、モダン建築の合間を進む馬車の姿を見ると過去と現代が見事に融合された光景である。

 皇居まで次男と二人で歩き、二重橋近くまで広い砂利敷きの中に馬車のためなのか舗装された所があり、それを辿り向かう。次男に昔人気グループの嵐が陛下のために歌った場所がどこだったのかを聞く。確か陛下夫妻は二重橋の奥の橋の欄干に立たれていたという次男の記憶を頼りに、嵐が歌ったステージはこの辺りだったのでは二人で確認する。

 東京駅に戻りロッカーに預けた荷物を取り出そうとするが、デジタル式のため数回操作を繰り返し、どうにか無事に荷物を手にすることができた。駅構内を新幹線改札口へ進む、私はネット上で早めにチケットを購入しており交通系カードに紐づけていたが、カード情報をスマホ等で確認する術がなく改札を通るまでは大丈夫なのかと不安に思っていた。次男は宮崎駅で切符を直接購入していたのでその点での心配はない。発車まで40分ほど時間がありホームへのエスカレーター取付きにあるコーヒーショップで飲み物を買い脇のベンチで時間をつぶす。

山形新幹線で友人の元へ

 14時00分東京発山形新幹線「つばさ145号」に乗車、以前に乗った東海道新幹線は2列と3列の横並びだったが、山形新幹線は車幅が違うのか2列と2列の横並びとなっている。上部の手荷物置き場にキャーリーケースとリックを、それぞれのハンドバックは手元に置き、そして東京駅で購入した弁当と飲物は前座席背の荷物掛けにぶらさげる。

 山形までの所要時間は2時間43分、福島で仙台方面の車列と引き離し、山形新幹線は東北地方の山間部へと入っていく。福島から山形に入ると停車する駅に積雪があり思わず次男に「ほら雪が積もっている」と伝える。時間はすでに夕方で構内の照明があればこそ雪が確認できる。

 米沢、高畠、赤湯、かみのやま温泉と停車するたびに車窓から駅構内を覗き込んで久しぶりに見る雪を楽しむ。山形到着の45分前に東京駅構内で購入した駅弁をいただく。今回の旅の楽しみの一つとして考えていたことが新幹線の中で駅弁を食べること。弁当屋さんにはたくさんのご当地名物の駅弁が並んでおり、どれにするのか楽しみ、悩んだ末に次男は牡蠣弁当で私は牛タン弁当とする。

 牛タン弁当は厚みがあり重くこれはと期待したが弁当下部に発熱材が入っており、食べる5分ほど前に付いている紐を引くようにと表示がある。指示通りにすると確かにホカホカ弁当になり美味しくいただける。常日頃あまり食事のシェアーをしない次男だが今回はお互いの食材を楽しむことができた。これも旅故のことなのかもしれない。

 山形駅に18時43分に到着、構内には積雪は見あたらない。改札を出ると西口と東口に分かれており川上に連絡すると西口で待っているらしい。以前来た時には西口は無く駅前再整備によるものか、公共、民間の施設がいくつか建っている。東口がメインの出入口なのか西口には人もまばらで閑散としている。

川上と再会
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 それにしても肌に感じる空気はとても冷たい。事前に宮崎とは気温が10度近く違うと調べていたので、しっかりと上下着込んできたが肌が露出している部分は山形の冬を感じる。見慣れた男性が近づいてくる、久しぶりに会う川上、以前と雰囲気は全く変わっていないが、お互いに確実に老いを重ねている。

 川上の自宅は駅から車で15分程度の住宅街の中にあり、以前住所を頼りにグーグルマップで検索した事があり、近くの河川や道路はそれなりに頭に入っていた。住宅は袋小路を入った所にあるためストリュートビューではその姿を確認できてない、西側の前面道路に面し2台分の縦列の駐車スペース、手前に事務所の、奥に住宅の玄関がそれぞれにある。

 住宅の玄関に入ると、奥さんのYちゃんがむかえてくれる。Yちゃんと最後に会ったのは長男のT君がまだ一歳にならなかった頃、学生時代、そして二人の結婚式の時に会っており当時のままの雰囲気で大変懐かしい。

川上らしいインテリアで
 玄関に入り最初に通されたのは川上が仕事場としている部屋で、中に入るなり中央に置かれている大きなテーブルが迎えくれる。幅50㎝長さ4mほどの木のカウンターを両サイドに、そして中央には幅30㎝ほどの建物の外装材として使うガルバニウム鋼板の角波板が使われている両サイドには座り心地の良い椅子が数脚つづ置いてある。壁にはどこかの教会を作る時にケーススタディーとして制作したのか小さめの照明器具を使った十字架がかけてある。部屋の至る所には、それぞれに個性ある照明器具が置いてあり場所場所を照らしている。

 今回、私達のために準備してくれたのは二人が使っている2階の部屋で、ここも広い空間に川上らしいのか光の演出が施されている。荷物を2階に置き1階にて旧交を温め合う。まさに白熱球の色合いよろしく昔二人で過ごした大学の研究室を思い出す。そして語らいながら、院生室、ゼミ室、研究室、そして大学院受験のため合宿した白樺湖近くの大学の保養施設での場面々が思い出され、すでに半世紀近く立っているとは思えないくらい自然に話がはずむ。

 22時も過ぎ、それまで付き合ってくれたYちゃんは翌日の勤めがあり、次男にも早く休むように伝え、その後は川上と二人現在お互いが取り組んでいる諸々のことについて情報交換をする。ここで川上が「ワイン飲む」とのこと、川上は熱心なクリスチャンでアルコールは飲まない。ただ学生時代に二日酔いで苦しんでいる姿を中央線駅のホームで見かけたことがあり、彼にとって何かと悩み多いあの時代だった。

 出て来たワインは高畠ワイン、親戚から頂いたものらしく大事にとってあった物、一緒にワインの栓抜きを持ってくるが、どういうわけかスクリュー部分がコルクまでとどかない。よく見ると肝心のスクリューがなく先端が折れている。そこで川上が手にしたものは先の尖ったもの、コルクを少しつづ砕き最後にはボトル内に押し込んでしまう。私も以前やったことがあり最後には網目の細かい茶漉しが必要となる。

友人設計の二つの教会へ

 今回の旅は、東京往復の安いチケットが前提となったため期間は2泊3日、山形旅行を考慮するとあまりに短すぎる。事前に川上に連絡し次男と一緒に行くことを伝えた時に「蔵王で一緒にスキーをしよう」という提案だったが、私の方から川上が取り組んだ教会を見てみたいとリクエストしており次男は黙って付き合ってくれた。

 翌日の1月28日午前中は川上の設計した教会を見せていただくことになる。一件目は自宅から歩いて行ける距離ということで、近くに流れる・・川の河川敷を3人で歩きながら向かうことになる。・・川には蔵王の雪解け水なのか大小の石の合間をいき良い流れていく。

 この川はおそらく最上川の支流になるのではと思う。山形市は周囲を山に囲まれており、雪をかぶった稜線が比較的近くに感じられる。ただし山は岩肌ではなく樹林帯それも落葉樹のため葉を落とし幹と枝だけとなった黒っぽい樹々が山全体を覆っている。

山形南部教会
 河川敷から土手に上がり住宅街を歩いていくと広い田んぼの西側に平屋の倉庫が見える。その建物が最初に見せていただく山形南部教会である。以前はトヨタの部品倉庫だったらしいが、その建物を買い取り内部をリメイクして教会としている。

 建物が以前車の部品倉庫として使われていたため、全面道路に面して広い駐車スペースがあり、たて長の敷地奥の方に天井の高い平屋の倉庫がある。風除室を入ると多用途な集会として使うことのできるスペースがあり、奥に進むと沓脱スペースがありそこでスリッパに履き替えて先に進むと礼拝のスペースとなっている。そこは広い空間となり右側壁に祭壇があり、奥に信者が集うのではなく両手を広げた身近な場所に信者が集うプランとなっている。

 建物は元々鉄骨造、礼拝室内部は天井に木製リブを等間隔に配置した曲面の天井で空間に柔らかさを表現している。祭壇の後ろのかべは、倉庫として使われていた時にたくさんあったスチール棚を転用しており、両サイドには麦の穂をデザインした障子があり、外部側に設置されたカーテンを開放することで一見ステンドガラスにも思える表情を演出している。礼拝室奥には子供達の広く天井の高いスペースがありさまざまな活動の場所となっている。

山形本町教会
 一旦川上宅に戻り、車で2件目の山形本町教会を見にいく。場所は山形市内の中央部で幹線道路を入った所にある。近づくとまず屋根の付いた十字架が見えてくる、もしかして雪対策なのか。道路側に教会の建物があり、右側通路奥には併設の幼稚園と保育園がある。

 教会の玄関に入ると2階への階段がある吹抜けのホールがあり道路側に面して大きな開口部がある。夜になるとこの開口部を通して、道路を行き交う人達に木を使った室内がホンワカとした雰囲気を与えるのではと思う。教会の建物の開放感と閉鎖性を意識してのことかは分からないが教会のイメージアップにはなっている。礼拝室は八角形平面で天井が高く2階の諸室と吹抜けで繋がっている。礼拝室は大断面集成材による構造となっている。

 今回の旅の目的の一つに、川上が取り組んできた教会には木造が多くそれを見たかった。実は私自身、昨年より住宅以外の建築に宮崎県産の木材を普及する協議会に参加しており、その中で中規模・大規模の非住宅建築での木材の使い方について興味があった。

  敷地奥にある幼稚園保育園は川上の設計ではないが、園長先生に一言挨拶しに行くと一緒に行くと「ぜひ内部を見ていって」と勧められる。今日、園児たちはお弁当の日で食べる場所も自由に選べる日ということで、それぞれの部屋で年少さん、年中さん、年長さんが一緒にテーブルを囲んで食べている。先生が子供達に「宮崎県から来ました柴さんです」と園児達に紹介してくれる。


ランチはお蕎麦

 山形本町教会を出た時点で12時頃、川上の予定では午前中には蔵王のゲレンデに行きロッジでランチをとることになっていたが、せっかくの蕎麦所山形なので「ランチは蕎麦にしよう」と提案する。近くに良い店があるからと行くが「本日定休日」とのこと、それではと別な名店に行くがここも「本日定休日」で、山形市内は火曜日がお休みの店が多いらしい。三件目は「庄司屋」というお店、後でネットで調べると山形市蕎麦ランキングで評価の高いお店で、とても美味しいお蕎麦とニシンの煮付けをいただくことができた。

蔵王でソリ遊び

 ランチ後に一旦自宅に戻りソリを乗せて蔵王スキー場に向かう、蔵王には山中にたくさんのゲレンデがあり、全てのゲレンデが繋がっているらしい。今回はスキーが目的ではなく次男に雪山を体験してもらいたいということで、訪れたゲレンデは「黒姫」で川上が設計事務所にスタッフとして勤めていた時にここに建っている黒姫ロッジを担当していたらしい。

 ロッジの下の方にリフト乗り場があり、そこに繋がる二つのゲレンデがある。サングラスとウェアーに身を包んだスキーヤーやスノーボーダーが行きよく滑ってきてはリフトに乗り上にあがっていく。

 そのような場所で、子供用のソリを手にした大人(男)が3人、スキーヤーが滑り降りてくる合間をみてはソリ遊び、なんとも滑稽な光景、本人達には不自然さの自覚はあるが、真っ白な雪の斜面をどこまでも滑れるのは快感である。

 スキーヤーの胸に「防医大」のロゴの入った女性のグループが結構な人数で滑ってくる。後で川上との会話の中でこの事が話題になり「きっと雪山での救助を想定した訓練の一環だった」という事でおちつく。

 次男の初めての雪山体験は彼が5歳の頃だったと思う、宮崎県の五ヶ瀬スキー場(国内最南端スキー場)に家族で行った事があるが、三人の子供達の中で彼だけ異世界に驚いたのか一度もロッジから外に出なかった。今日は車から降りるなり土手に積もった雪とたわむれ、ゲレンデでは数回ソリを楽しんでいた。

 ロッジの中にではスキーヤー達が食事中、入口のメニューを見るとカレーライスに千円台後半の値段がついている。当初予定では黒姫でソリを楽しんだ後、ここで食事をする予定だったが、事前に街中の蕎麦の名店で食事をしてきて正解だった。

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山形うわの温泉天神乃湯、そして土産物購入

 ゲレンデでのソリ遊びを楽しんだ後は蔵王温泉街にある川上が勤めていた時に担当したという二つの保養施設を見に行く。温泉街にはいかにも外国から来ましたという団体さんがたくさん歩いていおり、ここ蔵王もインバウンドの影響を受けている。その後、県道21号線を下る途中で右に曲がり「山形うわの温泉天神乃湯」で蔵王のお湯を楽しむ事になる。蔵王から麓に下る途中で左折し細い道をくねくねと集落の中を進む、蔵王温泉街で見かけたたくさんの外国人が今から行く温泉にもいるのかと聞くと、たまに見かけるらしい。

 温泉の場所は蔵王中腹で広い駐車場の割には大型な施設ではない。一見古風な姿をしているが一部壁のコンクリート打ち放し化粧仕上げや、木部(柱・梁)は古色風で仕上げられており、川上曰く「もしかして本間事務所の仕事では」とのこと、湯上り後に管理者に尋ねるとそうではないらしい。お風呂は内風呂と外風呂の組み合わせで、外風呂の浴場の方が広く風呂の種類も若干多い。湯上がりにはコーヒー牛乳と名物の玉コンニャクをいただく。

 県道21号線を下り国道13号線に近づくと左手に「ぐっと山形」大きな看板がある、山形県観光物産館ということで立ち寄り、ここで母親と母親から頼まれていた知人へ、次男は職場の同僚へのお土産を購入する。これで明日早朝の新幹線出発までゆっくりと時間を過ごすことができそう。

 川上宅に帰宅し、ゲストルームでしばらく休憩し、その後夕食をいただく。今回は山形市内に住んでいる四男のD君が顔を出してくれ一緒にテーブルを囲むことになる。D君はまだ20代半で背が高くどちらかというYちゃんに似ている気がする。

 昨夜、飲ませていただいたワインが残っており次男と二人でいただく。そういえば蔵王からの帰路に立ち寄った山形県観光物産館内に同じ物が販売されており、国産のワインとしては高い値段が付いていた。ワインを飲み慣れているわけではないが、大変飲みやすいワインであった。

 夕食後は川上の仕事場で二人でゆっくりと過ごす。彼もパソコンはマックを使っており仕事ではJWcadで作成したデーターを「Procreate」というソフトを使いプレゼンテーションしており、いくつかの事例を見せていただく。なかなかの表現で同じマックを使いながら使用するソフトによっては違うプレゼンテーションが可能である。またIpadも多機能に使いこなしている。色々と教えを乞えば自分の取り組みにも役に立つのではと思うが、果たして今から新たなソフトにチャレンジできるだろうか。

目覚めると大雪

 山形での最後の日、朝8時05分に山形新幹線に乗ることになっているので6時前には起床し二人で荷物の整理を行う。昨日訪れた山形南部教会で米所山形で作られているお煎餅をたくさんいただき、また川上からは以前頂いたという地元のワインをいただいた。次男のキャリーケースと私のリックにどうにか詰め込むことができた。

 1階に下りると川上から「雪が降っているよ」と窓を開けてくれる。道路や車の上に5〜6㎝ほど積もっている。昨夜帰宅した時にはその兆候は全くなかったが、深夜に降り周囲はまさに雪国となっている。

 川上が手にソフトボール大の雪玉を持ってきて次男に「はいお土産」と言って手渡す少々戸惑いながら受け取った雪玉に次男は嬉しそう。スキー場とは違い日常生活での雪景色を次男はどのように感じたのだろうか。早めの朝食をいただく、昨日の朝食にも出てきた小豆入り豆乳ヨーグルト、小豆を煮るのは川上の楽しみになっているらしい。

山形新幹線で帰路

 7時15分頃にYちゃんに宮崎での再会を伝え川上の車で山形駅に向かう、幹線道路を走るが時間帯が少し早いのかスムーズに駅の東口に到着する。東口周辺の景色は以前来たことがあるので西口とは違い懐かしいが駅舎自体は新しい建物になっている。ここで川上とはお別れ「本当に何から何までお世話になりました」再会できることを祈って彼の手を握りしめる。

 駅舎内には、丁度通学の時間帯なのかたくさんの高校生の姿がある。改札を入りさらに新幹線乗り場の改札を入りホームに降りるが発車まで30分以上ある。ホーム先を見ると待合スペースがあり次男に先に行ってベンチにでも腰掛けるように伝える。私は手前の売店に入り車内で咳き込んだ時の対応としてのど飴を購入する。

 8時02分予定通りつばさ128号が到着、山形新幹線は全て指定席となっており16号車5番のAとB席、新幹線の始発駅は新庄で山形との間に・つり駅があり、すでに車内には乗客がまばらだが乗っている。東京までの乗客なのかはわからないが山形県民の利便性が高いのは確かなことである。

 10時48分に東京駅に到着、帰りの飛行機まで4時間弱あり、駅周辺を散策することにし、まずはロッカーに荷物を預けて近くのスポーツ用品店に行く。高層ビルの1・2階に店があり中にはアジア系のお客さんが多い。店を出て銀座をめざして歩くがなかなか行くつくことができない。過去数回通った銀座だが東京駅から一旦店に立ち寄ったためか方向感覚がおかしくなった。ランチの時間が過ぎそろそろ羽田に行かなければいけない。浜松町まで行きモノレールを使い飛行機の出発時間の1時間ほど前に羽田に到着する。妻に電話を入れるとすでに出発ロビーに来ており合流し、残りのお土産を購入後に手荷物検査を受けて出発ゲートをめざす。

 飛行機は14時30分に出発し宮崎到着は16時15分でほぼ時間通りに帰郷する。

各種手続きがデジタル化

 今回の旅行では、はじめて経験することが幾つかあった。一つは航空券のチェックイン手続きで予約は妻が手続きをしてくれ、搭乗日前日にメールで送られてきたアドレスにスマホでアクセスし手続きを行うことでスマホ内にチケットが保存される。

 二つ目は新幹線の予約で「えきねっと」というHPを使った。ただしチケットは交通系カードに紐付けとなり内容確認はカードではできなく実際改札口でカードをスキャンすることになり、その時点まで不安だった。

 三つ目は東京駅構内でのロッカーの使い方で、以前はロッカーの鍵を預かるシステムだったが、モニター操作後に出てくるペーパーを保管する。いずれも慣れない操作に手間どったが、どうにかクリアーすることができた。羽田14時30分発の宮崎行き、

新宿 母校をバックに
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次男 都庁展望フロアーから
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京王プラザホテル 母校は隠れて見えない
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神宮の森の向こうに丹下氏設計の体育館が見える
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都庁2階、今年行われる世界陸上の展示スペース
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次男は走り幅跳びのアスリート
たち幅飛びで、世界記録に挑戦する。
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東京駅
近代的な建物の中でクラッシックな駅舎が存在感を出している。
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友人宅 ゲストルームで寛ぐ次男
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石鳥居 国指定重要文化財 
友人宅から南部教会までの途中
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山形南部教会をバックに次男と友人
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礼拝室前の多目的に使えるスペース
写真左側の下の壁は倉庫だった時に部品を載せていたスチール棚で
室内の随所に使われている。
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山形南部教会の礼拝室
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川面にアオサギ
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山形本町教会
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礼拝室前のホール
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大断面集成材による構造
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蔵王スキー場 黒姫ゲレンデ
スキー、スノーボードを楽しむ人達の中、大人三人でソリを楽しむ。
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1月29日は大雪 早朝川上の車で山形駅に向かう。
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by mutumi48 | 2025-02-03 19:56 | 家族 | Trackback | Comments(0)

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