第二回囲炉裏塾 一日目(11月25日)

 11月25日から2泊3日で第二回囲炉裏塾を諸塚村の「やましぎの杜」で行った。前回は2020年の10月14・15日に双石山探検隊メンバー(師匠・ひろパパさん・オッシー・キジちゃん)を誘い5名で実施した。

やましぎの杜
したしぎ前
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 「やましぎの杜」は、私が平成10年(1998年)7月から私が関わった県内初のグリーンツーリズム事業で、都市と山村の交流の場所として諸塚村上合鴫集落(3軒)で空家となった2軒の古民家を整備した所である。

 第一回囲炉裏塾が楽しかったこともあり、探検隊メンバーと他の山友からも第二回開催の要望があり今回実施することになった。探検隊メンバーは仕事の都合で参加できなかったキジちゃん以外のメンバーか参加、新たに山友の高瀬氏、吉田氏、シスターコーヒーさん、井久保さん、そして子供の頃に頻繁にやましぎを訪れたことのある私の次男を合わせて9名となった。

 11月25日、8時20分に私の自宅に高瀬氏に来ていただき、高瀬氏の車に私と次男を同乗させていただき、待合せ場所となっている新富町のルーピン(農畜産物直売所)に向かう。待合せの9時00分の10分前に到着、すでに他メンバーは到着している。配車はオッシーの車に師匠とひろパパさん、吉田氏の車に井久保さんとシスターコーヒーさんとそれぞれ3人づつ同乗している。

 新富町は野菜の町で新鮮な朝どれが並んでおり、食事メニューの一つとなっているテンプラの食材である野菜を購入、他にソバ打ち用の新蕎麦粉を購入予定だったが販売されていない。予定外であったのは鮎が7匹で670円で売っており「鮎の是則」で購入する子持ち鮎との比較の意味で2パック購入する。

 次の目的地は鮎購入のために美々津の「鮎の是則」をめざし10号線を北上する。途中先行するオッシーから都農町の「道の駅つの」に新蕎麦粉があるということで立ち寄り500gを2つ購入する。

 「鮎の是則」は耳川河口の町の美々津から川沿いに車で10分ほどの場所で、店の存在は以前から知ってはいたが実際に行くのははじめて、実は前回の囲炉裏塾の時にもここで生きた鮎を購入しているが、その時は私だけ別行動となり探検隊メンバー4人で立ち寄り購入していた。

囲炉裏塾スケジュール
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 「鮎の是則」は耳川沿にある名店で玄関奥に生簀があり、たくさんの鮎が泳いでいる。店の方が大きな網でまとめてカゴに掬いあげ、その中から子持ちの雌だけを選んでもらう。9匹で3,000円ほどで、新富町のJAで購入した鮎よりはるかに大きい。


美々津の鮎の是則で鮎を購入
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子持ちの雌を選定
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ランチは旧西郷村の人気店「まからん屋」

 初日のランチは、前回の囲炉裏塾でも立ち寄った旧西郷村の「まからんや」、この店はタンとホルモン、他はご飯、味噌汁、うどんというメニューだけで、以前の宮崎県知事の松方さんが入郷地区視察の時には必ず立ち寄ったという名店で、現在オーナーは息子さんに代わっているが仕事関係の方のランチ場所となっている。

 ひろパパさんが事前に店へ問合せをした時に「営業時間は肉が無くなるまでで、日によっては12時00分過ぎに無くなることもあります」と言われたらしく、少しでも早く行動しようということになり、11時00分頃にお店に到着し、本日最初のお客さんとなった。


まからん屋前で集合写真
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 注文内容は各自タンとホルモンそしてご飯で一人1,000円程度、三人づつテーブルに三人づつ着席し、早々に運ばれてきた肉を鉄板の上にのせて焼く。以前と変わらない味付けで、少し変わったのはタレの量が以前とすると多めになっている。テーブル席が三つで座敷テーブルが4席あり12時00分前には満席となった。

メニューは、タンとホルモンのみ
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旧南郷村の百済の里神門へ

 囲炉裏塾の「やましぎの杜」のチェックインは15時00分、ランチは12時00分過ぎに済み、当初予定していた旧南郷村の「百済の里」に行くことになる。ここから車で30分程度、以前は途中にある峠を越えていたが現在トンネルが開通しており比較的短時間で懐かしい南郷村神門に到着する。南郷村は私が30代から10年間ほど毎週のように通った場所で、私の事務所が関わった建物が県内で最もたくさん建っている。

旧南郷村の百済の里へ
神門神社
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 まずは神門神社に参拝し、境内にある古くなった神社紹介の案内板前で神門に伝わる伝説、お祭り、宝物に付いて説明し、その後で国指定文化財となった神門神社本殿に案内する。

 神社本殿では、師匠に柱と束石との取合いについて見ていただく。11月23日に双石山で一緒になった師匠はイワヤ神社の柱と束石との取合いの不具合の補修に取組まれており、ここ神門神社での現状が何かと参考になればと思った。

西の正倉院へ

 神社境内の社務所にて「西の正倉院」入館のためにチケットを購入し地元ガイドの方の説明を聞きながら入場する。

西の正倉院 門
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 地元ガイドさんの話をしばらく聞くが「西の正倉院」整備に構想の段階から関わった立場から、ガイドさんには申し訳なかったが途中から引き継ぎ私が説明することにする。ガイドさんには西の正倉院前での集合写真の撮影をお願いする。

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 平成5年(1996年)に竣工した「西の正倉院」は完成時は外部の桧の木肌が黄金色に輝いていたが、数年すると建設作業時に付いた職人等の手形や直足袋の跡が目に付くようになった。現在は校木自体が埃によるものか黒ずんで趣が出てきている。

 西の正倉院は当時の村長と担当者の強い想いから限りなく本物の正倉院(東大寺)と同じ物を作ることにこだわったが若干の違いもある。

 その一つが建物内部に入るための階段であり、本来はそれぞれの倉に仮設の階段を設置して宝物の出し入れを行っていた。「西の正倉院」は展示の建物ということで中央部に常設階段を設置している。

 観光施設の役割を持つ「西の正倉院」は、この階段部分が建物を背景とした集合写真の場所として使われておりガイドの女性に撮影をお願いする。

 他にも東大寺の正倉院とは違う点があり、皆に現地で説明する。その中でも特に気を引いたのは使われている桧材の樹齢のことで、西の正倉院り校木には芯があることから説明し、本物との違いから校木の形状がなぜこの形となったかを私自身の見解で説明する。

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 正面入口から入ると、今だに桧の香りに包まれる。外部の桧は黒く燻んでいるが、内部は創建当初の木肌を保っておりライティングにより輝いている。正面中央の倉は建設当時に使われた、木材、道具、他材料について展示してあり、当時のことについて皆さんに説明する。

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正面の倉から宝物展示の右側の倉に入る
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 正面右側のスペースは神門神社に伝わる宝物展示の場所で、入口正面には毎年行われる師走祭りの時に木城町比木神社の御信仰行列で運ばれる「鉾」が展示してある。この鉾は神門神社を国指定の重要文化財とするために調査した時に本殿内部の天井裏から出てきた物で、その数は1006本あり日付が確認できる物で最も古いのは長禄3年(1457年)12月19日というものがあり、この師走祭りが古くから行われていたことを示す貴重な物として展示されている。
 
 西の正倉院と百済の館の共通チケットは大人510円、西の正倉院を出て次は百済の館の見学を行う。二つの建物共に伝統的な作り方となっているが、そのこだわりによって違う点が多々あり、そのうちの一つが神門神社本殿から話題になった柱脚と束石との関係である。双石山のイワヤ神社の柱と束石の取合いを補修されている小八重さんに神門神社の事例について説明したことをきっかけに、西の正倉院の場合と百済の館の場合についてそれぞれに説明する。 

百済の館
 
 神社境内に接して建っている。以前は保育園が立っており神社境内に接しているという理由での場所が選ばれた。韓国での現地調査で、モデルとした客舎の多くは塀で囲まれた広い敷地奥に建てられ建物の正面性を大切にしている印象であった。観光施設としての役割を考慮し観光客が建物をバックに記念撮影する場所を考慮し国道から直接アプローチできる幅広の階段を設置した。
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 柱脚と束石説明後に中に入り、まずは南郷村と韓国との関係について、私が最初に調査に行った時の反日感情むき出しの状況から友好関係が結ばれるまでの経緯について説明する。
 その後、百済の館内部では韓国の民族衣装を誰でも着用することができ、ひろパパさんとオッシー、井久保さん、シスターコーヒーがチャレンジする。ひろパパ王と妃と女官との写真を紹介する。

囲炉裏塾王一族
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諸塚村へ

 旧南郷村を15時00分過ぎに出発し、再度西郷村内のまからんや前を通り、国道327号線を諸塚に向かい耳川沿を進む。途中の道路脇にある無人販売所をチェックしながら、ゆず、次郎、ムカゴを購入し16時00分頃に受付場所となっている諸塚村のしいたけの館に到着する。
 3,000円×2日分×9人を支払い、ここから25分ほどかかるやましぎの杜に向かう。私は七つ山弓木の甲斐さん宅に立ち寄り、10年前に亡くなった光さんの仏壇に手を合わせた後、長男としばしお話しする。

囲炉裏塾会場は諸塚村の「やましぎの杜」
したしぎの土間
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土間に面した囲炉裏のある板間
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夕食の準備
手打ちそば(豚バラの甘辛煮)・鮎の串焼き・天ぷら

 私がはじめてソバ打ちを経験したのは30年以上とずいぶん前になる。年末の年越しソバを含め打つ機会が多く、その中でも4つを紹介する。

 一つ目は、関之尾滝近くの畑で都城市主催の「ソバ家族」という取組が行われ、それに家族で参加した時であり、種まきからはじまり、花見、脱穀、そしてソバを打ち食べるという企画内容であった。

 講師とし地元の農家さん、故人となった長友大氏(前世界ソバ学会会長・宮崎大学名誉教授)、そして「がまこう庵」のご夫婦がいたと記憶している。企画の中で記憶に残ったのがソバの花見で、参加者全員が花を楽しみながら五七五の俳句を披露したことで、長友氏が俳句に造詣があり長友氏の講評を聴きながらより興味深い時を過ごすことができた。

 二つ目は、旧南郷村神門で麺学会の九州大会が行われることになり、地元の蕎麦屋さん「田舎屋みかど」で参加者全員のソバを準備することになり、大会当日の朝早くからご主人が打ったソバを茹でる手伝いをしたことがある。この大会には私も参加させていただいた。会員はソバだけでなく様々な麺に関する方達で、農林水産省の役人、大学の先生、お店の方、単に麺好きの方と多彩であった。

 会場は私が設計したコテージ山霧「霧の宿」の管理棟でたくさんの方が集まり、太く短い田舎ソバを参加者と美味しくいただいた。この時の食卓に出た物の一つが「どんぐりこんにゃく」で多くの人の興味を誘った。「どんぐりこんにゃく」は県内でも一部の地域でしか作られておらず、当時、南郷村神門と木城町中之又で作られていたことを記憶している。

 三つ目は、今回の会場である「やましぎの杜」を整備する前で、役場担当者にソフト事業の取組みの一つとして都城で経験した「ソバ家族」を提案する。この時は故人となった地元の甲斐光氏と奥さん、そしてお姉さんに大変お世話になった。種まきは折角だからということで近くの畑を使い焼畑を行い種を蒔くことからはじまり家族共々に大変思い出深いものとなった。

 四つ目は、高校時代の同窓会48会(1948年卒業)でソバを作ろうという話になり、同級生の畑で種まきからスタートし、花見+俳句の会、そして収穫、乾燥後に石臼で粉挽、最後は同級生の妹がやっているお店を借りてソバ打ちを行い皆で食したことがある。この時の一番の思い出は収穫の時に事前に畑の持ち主の同級生が刈り取り、それを束ねて畑内に立てかけて乾燥されていてくれた。立てかけられた束を見ると周囲のソバの実が極端に少なくなっており、当日も広い畑に数羽の鳩が来ており、おそらく鳩達の格好な餌になってしまった。
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 ソバ打ちは、二八そばで合計1.2kをひろパパさんと半分づつ打つ、私は過去何回ソバ打ちを経験したかは年末の年越しソバを含めて覚えていない。ひろパパさんは前回の囲炉裏塾で経験しており今回で2回目となるらしい。
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くし作りは師匠
 前回の囲炉裏塾でのソバ打ちを予定していたが、現地につきいざ始めようとした時に、打ち台はあるが、のし棒がなく「さあどうしよう」となった時に、師匠が近くの竹林で手頃な竹を切り出し節を削り、それをのし棒として使った。その時も鮎の串焼きの串棒制作は師匠の役割で、今回は鮎を購入した「鮎の是則」で見かけた串棒を参考に作成される。

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 串棒に鮎を刺していく師弟、鮎の口から竹串を差し込み尾っぽの手前で外に出す、差し方も場所によっての違いあるようだが、囲炉裏の灰床に差した時鮎が滑り落ちない工夫は共通している。師匠の教えを守りながらオッシーがチャレンジする。
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鮎の串焼き
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 囲炉裏での食事の準備をしながら手の空いた人から順番でお風呂をいただき、私自身の役割である「豚バラ甘煮ソバ」の準備が一段落したところで風呂をいただくことにする。
 したしぎの風呂は五右衛門風呂で薪で焚いたお湯は体の芯から温まる。風呂から上がるといよいよ囲炉裏を囲んでの夕食そして囲炉裏塾がはじまる
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 全ての準備も終わり、皆で囲炉裏を囲み夕食をスタート、囲炉裏の煙が土間の反対側に流れ煙い。
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 夕食のメニューは、豚バラ甘煮ソバ・野菜の天ぷら・鮎の串焼き、豚バラ甘煮ソバは、私が今年の年越しソバとして考えている物で今回初めて作る。ただし自宅では乾麺を使う予定だが、囲炉裏塾では新ソバを打つことになり、ぜひやりたくてメニューに加えさせていただいた。

 豚バラ甘煮ソバは、ソバつゆは、水・醤油・みりん・酒・鰹節・味の素・塩で作り、豚バラ甘煮は豚ハラ肉・玉ねぎ・醤油・みりん・酒・砂糖・水で作り、ソバつゆにソバを入れ温め直してから豚バラ甘煮をのせて、その上に小ネギ・きざみ海苔を加える。手前味噌だが全て加えた豚バラ甘煮ソバはそれぞれの味が混じり合い大変美味しくいただくことができた。
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 1日目の夕食後は囲炉裏塾のメインプログラムである「師匠の語り」と「はやぶさの子育て」となっている。前半は師匠により経験を通した情報や知恵を聞き、後半はひろパパさんによる双石山山系でのハヤブサの子育てについて話をしていただく。ひろパパさんの長期に渡る取材映像をもとにハヤブサの生態について解説を交えて説明していただく。

 実はこの後でカルタ大会を予定していたが、肝心のカルタを私が忘れてしまった。前回の囲炉裏塾で実施した「樹木カルタ」と「山野草カルタ」山小屋の年末大掃除後に行った「野鳥カルタ」、そして今回初めて参加する塾生のために作成した「双石山紀行カルタ」を新たに準備していた。

 またカルタ大会の勝者に渡して欲しいと山友のカメラマン後藤氏から、自身が撮影した写真をまとめたハードカバー「双石山写真集」もカルタと同じカバンに入れていたため忘れてしまい、皆さんにお披露目ができなかった。初めて参加する井久保さんは私のブログでカルタの予習をされていたらしく、楽しみにされていたみなさんすみません。


二日目に続く
今回紹介する写真は、ひろパパさんとオッシー撮影の物も含まれます。

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by mutumi48 | 2025-12-04 10:34 | 双石山 出会い | Trackback | Comments(0)

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